・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
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目からウロコの『自己受容』、『自己承認』


【 自己受容は、地に足の着いた向上の出発点 】

自分は変わりたい、向上したいと思ったら、
欠点をあげつらい責め続けるのは、いい加減に止めることです。
自分をダメな部分も、良い部分も含めて、ありのまま認め、許し、いたわること、
即ち、心理学の用語で、「自己受容」ができるようになることで、
自分の基礎を固めることができ、
その部分を基にすることで、さらなる変化と成長を得ていく事ができるそうです。
  参考 http://www.counselingservice.jp/lecture/lec283-4.html

以前は、逆に考えている頃がありました。

自分を向上させるには、先ず理想形を見つけ、
ダメな所、至らない所について自分を責め、
理想を目指して、わき目も振らず頑張るのが一番。
理想は高ければ高いほど良い。
その頑張りが美徳。、、、、、
などと思っていました。

「本当の高みまで向上するには基礎が大事」と、分っていたつもりでも、
高みに目を奪われ、無理なジャンプを繰り返して、疲れ果てる。
そんな状態だったのかもしれません。

今の自分の状態を、受容し、スタートラインと認める事で、
ほんの少しの変化、ほんの少しの向上でも、喜ぶことが出来ます。
理想までの道のりは遠いものですが、
その道のりを自己嫌悪しながら苦しんで進むより、
一歩一歩に、喜び・感動・感謝しながら進んで行った方が、幸せでしょう。
心理学の用語では、「自己承認」とも「自己肯定」とも呼んでいるようです。
初めは、遅々とした変化や進歩でも、いつのまにか、歩みは自然に速まります。
先をあせって、スタートで無理をすると、決して長続きしません。

               - - - - - - - - - (以下25行、2016年2月27日追記)
ここから先は、少し難しい話が続きます。
ちょっと、馴染めないと言う方の為に、具体的な例を先に紹介します。
イメージ作りの助けになれば幸いです。

ディズニーのアニメ映画、『アナと雪の女王』の日本語の主題歌は聞かれたことがありますか?
大ヒットしたので、どこかで耳にしていると思います。
▼ユーチューブの再生回数▼が、1億回を突破していますね。
歌手:松たか子版⇒ https://youtu.be/cvj3-MZO9Tw

当初から、歌詞の素晴らしさにシビレたのですが、
歌われている内容こそ、『自己受容』だと思いました。

また、松たか子さんも、歌詞の深い意味を、充分に歌い上げています。
だから、最初は鳥肌が立つように感じられました。
メイジェイさんが歌っているものより、深いと思います。
歌手:メイジェイ版⇒ https://youtu.be/ZQUz_i0fmKg

ところが、松たか子版は、英語の意味とは随分と違うものだったのですね。(英語は苦手)
驚いてしまいました。翻訳者の深い考えと作詞力に、脱帽です。
参考:英語歌+翻訳+日本語歌詞⇒ https://youtu.be/u4KHhjjR7zE

他の外国語版もそれぞれ違うようですが、自己受容を歌っているのは、
日本語版だけのようです。
参考:42ヶ国語和訳⇒ https://youtu.be/UnLuIlbNiEU
日本語版では、次のフレーズの部分です。
「輝いていたい、もうきめたの。これでいいの、自分を好きになって。これでいいの、自分信じて」

他の言語版は、(内面を隠し良い子ぶっていた)過去の自分の、良い子の仮面を捨て去り、
勝手気ままに生きようとする、ドロップアウト宣言のようであり、自己受容とは異なります。
自己受容は、隠していた所も出していた所も、両方とも受け容れ、ここを新たな出発点とします。
比べてみて、如何ですか?


掲載項目一覧
自己受容は、地に足の着いた向上の出発点】 【互いを認め合う、承認の連鎖】 【 自己否定の伝統?】 【自己受容と怠けることは別物】 【幸せになる薬】 【過去の自分も認めよう】 【自問自答】 【人様の意見】 【気持ちや考えの俯瞰】 【自分らしい魂の成長】 【心の鎧】 【自己啓発セミナーの盲点】 【活力を生む目標】 【日本の社会原理・日本教】 【正しい誓願を起こす


【 互いを認め合う、承認の連鎖 】

自分をダメな部分も良い部分も含めてありのまま受容し、
自分をいたわる気持、尊重する気持が高まるほど、
人様をそのままで認め、いたわり、尊重する、自然な気持が湧いてくるそうです。
強みは視点を変えると弱点にもなり、弱点は視点を変えると強みにもなります。
お互いを認め合い、他人の評価や判断に振り回されない、本物の自信が持てるそうです。
  参考 http://www.counselingservice.jp/lecture/lec311-4.html

以前は、逆に考えがちでした。

自分を認め自尊心を高めるほど、
人様を小馬鹿にしたり見下したりするのではないか。
人様を大切な存在として敬うには、
謙譲の心を徹底し、極端に言えば、へりくだり、自分を卑下し、
相手に優越感を持たせる必要があるとさえ思い込んでいた時期がありました。

「自己受容」、「自己承認」の説明を知り、以前の考えはさっぱり捨てることができました。
人様を小馬鹿にしたり見下さないと保てない自尊心は、本物の自尊心ではありませんね。


【 自己否定の伝統? 】

日本では、
小さい頃から誰かに褒められ、承認されてきた、
そういう生き方をしてきた方は意外にすくないようです。
厳しくすることが当然のように思われてきました。

だから、「自分は認められる資格が無い」と、潜在的に思い込んでいる。
まるで、自分を認めたくないかのように、
すぐにネガティブな理由(比較、競争)をもってきて自己否定してしまう。
  参考 http://www.counselingservice.jp/lecture/lec255.html

「ダメな所も、あっても良いんだ。」
「これでも、今は、イイのだ。」と言うと、
以前は、負け惜しみだったり、いじけたり、開き直ったり、
諦めて陰に籠るときの言葉と、思い込んでいた頃がありました。

ところが、他人との比較や世間の評価とは無関係に使える、
許しの言葉、受容の言葉、前向きな言葉としての使い方があり、
これは、心理学が認めた「自己受容」と言うれっきとした使い方です。


【 自己受容と怠けることは別物 】

夢や、希望や、可能性という思考を消していき、
諦めや、絶望、制限など、自分にブレーキをかけるのは、
「失敗したら自分が傷つくだろうと恐れる気持」だそうです。
  参考 http://www.counselingservice.jp/lecture/lec201.html

夢を諦めるのは、自己受容とは別物。
むしろ、自己受容が出来てくれば、
失敗しても自分自身を否定しないので、
無意味なブレーキとは無縁になれるはずです。

以前は、自分のダメな部分も含めてありのまま許し、認めると、
怠けてしまい、理想に向かおう、向上しようとする意欲が無くなってしまう。
と思い込んでいた頃がありました。


●その他参考URL:

Meg's Life Style 自己承認/自己肯定ってなに?
  http://mmcoach.dreamlog.jp/archives/1521795.html
自己承認こそ人間力の本質、まず自己承認から始めよう(杉本良明氏)
  http://www.cwo.zaq.ne.jp/coach/self-esteem/
子どもたちに「自己肯定感」という根を(大阪府人権協会)
  http://www.jinken-osaka.jp/essay/vol13.html
イチロー選手で考える自己実現 自己肯定感
  http://www.genkipolitan.com/agari/nikki/izime.html
復活、ほえよ!あゆりん【起業という生き方】
  http://blog.livedoor.jp/gao_ayumi/archives/50306819.html
自己肯定感を高めていこう!を考える(1)
  http://www.counselingservice.jp/lecture/lec583-1.html
自己肯定感を高めていこう!を考える(2)
  http://www.counselingservice.jp/lecture/lec583-2.html
自己肯定感を高めていこう!を考える(3)
  http://www.counselingservice.jp/lecture/lec583-3.html
自己肯定感を高めていこう!を考える(4)
  http://www.counselingservice.jp/lecture/lec583-4.html
東京都教育委員会第12回定例会報告
  http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr090709sj/pr090709.pdf
ウィキペディア「承認欲求」
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82
セルフコーチング (自分を伸ばす。ただし、自分の弱みを嫌わず、いたわりながら)
  何種類もの本やセミナーがあるようです。
  まだ、読んだり、体験したりした事がないので、どれがお勧めかは、何とも言えません。


自己受容に抵抗感のある方は、人様の評価に依存する気持が、まだ強すぎるようです。
心のリセットをお試しください。
神様に見守られ、この世のに幾重にも包まれていることをお感じになれば、
なんの不安感もなく、自分をありのまま受容することが出来るようになるでしょう。

自分をありのまま認めたのでは、悪い心を持っても許されてしまう。
「どうして良心を守れるのだろう?」と心配な方は、
魂への想いが良心を守るという方法もありますので、ご覧下さい。


【幸せになる薬】                   - - - - - - - - - (2011年10月23日追記)

人は、直立二足歩行により、道具を携えて遠征し、獲物を持ち帰れるようになりました。
一方、骨盤は狭まり、出産の苦痛は増し、
胎児の成長限界が早めに訪れ、未熟な赤子を出産するようになりました。

育児について、母親と父親の協力体制が不可欠になりました。
このお陰で、脳が未熟な時期に赤子を出産しても、
長期間、安定的な育児が可能になりました。
数か月だけなら、雄も育児に関わる動物は珍しくもありませんが、
何年も協力し続けるのは、人間だけの特性です。

カップルを維持し、妊娠したら子育てまで力を合わせる、何年間も、あるいは、終生。
二足歩行を始めて以来、人類にとって、子孫を残していく為の合理的な行為になりましたが、
個人にとっては、長く続く苦役にもなりかねません。
何らかの心理的報酬、即ち、喜びがないと、続けられるものではありません。
心理的報酬を得ることが、子孫の繁栄には有利になりました。
進化の過程で、このような幾つかの心理的報酬が、次第に発達したことでしょう。

好きな人の伴侶として、子どもの親として、
相手から、そして周囲からも「認められる」ことが、大きな心理的報酬の一つになりました。
相手の喜びを、自分の喜びにできるようになりました。
そして、人類特有の「家族」という形態(社会の最小単位)が生まれました。
(参考書籍:家族の起源 山極寿一著 1994年 東京大学出版会)
承認欲求」は、この過程で発達したに違いありません。

相手から認められるよう、あるいは、相手を繋ぎ止めるよう、
様々な知恵を働かせるようになりました。
これも、大脳を発達させる為の大きな原動力であったに違いありません。
最上の知恵は、相手への「思いやり」です。
色々な情報を総合して、相手の思いを推察する。
相手の思いも踏まえたうえで、自分の態度をコントロールする。
とても高度な脳活動です。

脳機能が発達するにつれて、
「思いやり」は、家族の枠を超え、集団の維持にも活用されるようになりました。
一方、「承認欲求」は、肥大化し、
集団の中で、自分に対する評価に囚われるようになったり、
愛着心、虚栄心、独占欲、自己顕示欲など、多様な欲求を派生させたのでしょう。

また、過度な承認欲求に動されると、集団の中では無用な軋轢も招くようになりました。
自分を認めてくれる集団、自己否定を感じずに済む集団は、
居心地良い「仲間」と感じるようになりました。
一旦入った仲間から外れるのは、大変な心痛を伴うものになりました。

承認欲求は、人として根源的な要素ですが、
満たされない承認欲求は、自己否定感を誘い、自暴自棄や攻撃心を誘うことにも!
扱いを誤ると、毒にもなる劇薬になりました。

この承認欲求を、自分でコントロールできる唯一のものが、
「自己受容」、「自己承認」です。
他者からの評価に過度に囚われずにすむようになり、
劇薬が毒になるのを防いでくれます。


【過去の自分も認めよう】             - - - - - - - - (2011年12月4〜5日追記)

心の内側では、様々な葛藤を抱え、もがきながらも、生きてきた自分。
これは、いろいろな縁に助けられてきた幸運もありましたが、
過去の自分の努力もあったはず。
「ご苦労さま」と、言ってあげても良さそう。

今の自分から過去の自分へ、少しは感謝の気持ちを送っても良いかもしれません。
少しは、過去の自分を認めても良いのではないでしょうか。
過去の自分を認める事は、今の自分も認める事。

私も、過去を振り返れば、悔む事、気が重くなる事が沢山あります。
忘れたくなったり、自分を正当化したくなります。
過ちを繰り返していても、かろうじて生きています。

迷惑をかけた全ての相手に謝り、許されるなら、どんなに楽か。
でも、全部謝って回る事は、一生かかっても出来ないでしょうし、
相手が許してくれるとも限りません。
謝るのは大事ですが、許しは期待しない方が良さそうです。

相手からは許されなくても、
お詫びするその気持ちは、きっと神様見守っていて下さる。
同じ過ちを繰り返さない為の示唆を与えて下さるかもしれない。
そう信じることで、せめて今の自分だけでも、過去の自分を許した方が良さそう。

駄目な自分かもしれないけれど、神様は、見守っていて下さる。
そのうえ示唆を与えて下さるかもしれない。
「神様、ありがとうございます。」と、
心の中で感謝することで、自己受容、すなわち、
過去の自分も、今の自分も、ありのまま受け入れることができるはず。

自分をありのまま受け入れることが、地に足を着けて、今を生きる土台になるはず。
今を生きる力だけでなく、未来に向かう力が湧いてくるかもしれない。
七転び八起き、へこたれずに淡々と、力を出し続ける基かもしれない。
私には、これしかなさそうです。


【自問自答】                        - - - - - - - (2011年12月16日追記)

自分の素直な気持ちや素直な考えを、
記憶したり、記録したりした上で、一旦、忘れるようにする。

後から、思い出したり、読み返したりしながら、
別の角度、別の視点から、再び見つめ直したり、考え直してみる。

これは、過去の自分と、今の自分との対話です。
自分の中に対話の相手を見つけることができます。
返事は直ぐには返って来ないのが難点ですが、
自分の気持ちや考えを誰よりも良く理解してくれるのは自分です。

過去の自分の気持ちや考えを誰よりもよく理解してくれるのは、
今の自分であり、
今の自分の気持ちや考えを誰よりもよく理解してくれるのは、
未来の自分です。
いわゆる、自問自答です。
そう思えると、独りでいても、心強い味方がいるように感じませんか?


【人様の意見】                        - - - - - - (2011年12月16日追記)

人様に問いかけると良いのは、
自問自答だけでは、飽きてしまいそうなとき、
また、別の角度、別の視点が不足しそうに思えるときです。
褒められたり、賛同してもらいたいときではありません。

だから、人様から批判的な返事がきても苦になりません。
別の角度、別の視点からの意見であり、むしろ、面白がることができます。
褒められたり、賛同されたり、されなくても良いのです。

人様から、批判的に反応され、へこんだり怒りがこみ上げてくるとしたら、
多分、飽きる程、自問自答することができないからでしょう。
自問自答が、中途で止まってしまうからでしょう。
なぜ止まってしまうのでしょうか?

色々な気持ちや考えを、それぞれ尊重し、併存させることが、
多分、とても不安になり、耐えられなくなるからではありませんか?

「自分が抱いているのは、いけない気持ちや考えなのでは?」と、
心細くなってしまうからではありませんか?
褒められたり、賛同されたりする言葉に、すがりつきたくなりませんか?

だから、自問自答を、無意識のうちに途中で止めてしまう。
私も、昔はそうだったから、分かります。


【気持ちや考えの俯瞰】                 - - - - - - - (2011年12月16日追記)

人様から褒められて嬉しくならない人はいないでしょうが、
褒められると有頂天になってしまったり、
少しでも批判的な反応を示されるとへこんでしまうのは、
自分の中に何かが足りない、何かが、まだ十分に育っていないからです。

自分の素直な気持ちや考えを認めてもらうか、相手の気持ちや考えに合わせるか、
二者択一しかできないのも、同じことです。
幼い頃、その二者択一の枠の中で育てられてきたのかもしれません。
記憶をたどってみませんか?
素直な気持ちを見失い、心の鎧にとらわれるようになっていないでしょうか?

魂が成長して行くうちに、二者択一ではなく、併存できるようになります。
魂の成長速度は、人それぞれですから、あせる事はありません。
年齢とは無関係に、成長の余地がまだまだあると認めることの方が大切です。


【自分らしい魂の成長】                 - - - - - - - (2011年12月16日追記)

自分らしい魂を見失ってしまうのは、自己受容できなかったからです。
自己受容したうえで、魂の成長を重ねてこなかったからです。
自己受容してしまえば、いつからでも、この成長が再び始まります。

魂が十分に成長していけば、
いつでも心が帰れる所、心が安心できる所、すなわち、自分らしい魂が、
どんなに心が揺れている時でも、心を包み、どこかに顔をのぞかせてくれます。
ちょうど、暗闇の中で荒海にもまれていても、灯台の光が届くように、
あるいは、厚く暗い雲の中に隙間ができて、微かな陽が差し込むように、です。

一つの気持ちや考えに支配されることがなく、元に戻って切り替えることができます。
だから、色々な気持ちや考えを、それぞれ尊重することができるようになります。
そして、色々な要素を結びつけながら、総合的に組み立てていけるようになります。

参考:全員がリーダー
   【対立の越え方 〜 多様性の活用
   【コミュニケーションの型について
   【男性脳・女性脳の違いを超えて理解を深めるには

   第6章-2 アプローチの工夫


【心の鎧】                          - - - - - - - (2011年12月16日追記)

所詮は、人間の考える事、絶対に正しい考えなど、あろうはずもなく、
どんなに素晴らしい考え方も、取りあえずの妥協の産物でしかないのに、
一つの考えにこだわり、それ以上は思考停止してしまう。
なぜ、なのでしょう?

多分、心が無意識に、そうしむけているのでしょう。
集団の中で緊張し、心に鎧をまとって、面目にこだわってしまう。
なぜ、なのでしょう?

私も、昔はそうだったから、分かります。
家族と言う、最も原初的で最小の集団の中で、素直に自分を出せなくなっていたから。
ありのままの自分を、親から否定されたときの心の傷が、まだ癒えていなかったから。
これも、やっぱり、自己受容の問題ですね。


【自己啓発セミナーの盲点】                - - - - - - - (2012年2月4日追記)

『これまでの成功法則は不完全であり、
パズルの大きな1ピースが欠けていました。
その欠けた1ピースを埋めることで、
わずか24時間で、幻想の中で生きる自分を、
一気にブレイクスルーをさせることができるのです。』


と、従来の自己啓発セミナーの盲点を紹介している「自己啓発セミナー」がありました。
料金は、お一人様21万円だそうで、早期申込み割引が17万8千円。
お金をたくさん持っている方は、申込んでみてください。
こちらです→http://www.forestpub.co.jp/bte/

でも、お金が無い方は、そのような恩恵を受けられないとしたら、悲しいですね。
また、そこまでのお金は、もったいないと思う方もいらっしゃるでしょう。
このページの「自己受容」を丹念にお読みになり、
以前のページの「トラウマからの解放」や「心のリセット」も読み、実践してみてください。

私は、そのセミナーも、似たような事をやっていると、予想しました。
24時間で一気に可能かどうかは、保証できませんが、
「魂のルネッサンス」には、お金はかかりません。


<その他参考ページ一覧>

「やさしい虐待」
 http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=3135
 http://www.j-cast.com/tv/2011/12/15116547.html?p=all
「メランコリー親和型うつ病」
 http://yamatake.chu.jp/02psy/1psy/4.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85
「ディスチミア親和型うつ病」
 http://shinbashi-ssn.blog.so-net.ne.jp/2007-10-14-1
 http://hrclub.daijob.com/hrclub/?p=375
「適応障害」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A9%E5%BF%9C%E9%9A%9C%E5%AE%B3
 http://www.fuanclinic.com/byouki/vol_35c.htm
 http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080430/300406/
「統合失調症の症状悪化防止、再発防止」
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%90%88%E5%A4%B1%E8%AA%BF%E7%97%87
 http://www.1mental.jp/togoshittyosho_saihatsu.html


【活力を生む目標】               - - - - - - - - - - - - -(2015年11月3日追記)

否定ばかりでは、心が疲れ果て、擦り切れてしまいます。
例えば、『私には、○○はできない』という評価です。
肯定ばかりでは、心が緩んだまま、成長が止まってしまいます。
例えば、『私は、○○も△△も□□もできる』(できないことが浮かばない)評価です。

否定と肯定のバランスが大事ですね。これが刺激になって活力を産みます。
だから、良い点も悪い点も、丸ごと認めて受容する『自己受容』が大切です。

その気になって頭を切り替えさえすれば、自己肯定は難しくありません。
条件をつけずに現状を認め、その中から好みの点を探すだけで良いのですから。
たとえ些細なことでも前向きに評価して、『○○をやり終えた』とか、
『少なくとも○○までなら、私にもできる』というのも、前向きの肯定です。

むしろ細心の注意を払うべきは、自己の現状を否定するときです。
言い訳しようと思えば、いくらでもできるし、自分自身すら誤魔化せます。
『私が○○できないのは、△△や□□があるから』と、言い訳や責任転嫁で誤魔化す。
現状維持を続けようとする無意識の欲求が、脳に組み込まれているからです。
(これを『ホメオスタシス』と言います)

また、『どうせ私なんて、○○なのよ。』というのは、形式的には肯定表現ですが、
低レベルの自己評価を定着させる後ろ向きの肯定であり、
本当は自分の現状に傷ついているけど、その傷をなめる為のねじれた肯定です。
一時的には慰めになっても、長期的には、向上を阻害するので、
自己否定と同様であり、細心の注意を払うべきです。

自己イメージが低い状態で満足していると、
飛躍できるヒントが目の前に転がっていても、ホメオスタシスのせいで気付きません。
(これを『イマジネーションの限界』と言います)
だから、現状より上の何らかの目標なり、ゴールが必要。

現状維持を打ち破るには、ホメオスタシスの働き方を変える必要があります。
現状とは全然違う状態の方が正常であると、無意識の中にまでしっかり刻みつけます。

常に現状と離れていた方が、自分を誤魔化せないので、
突拍子もない目標にするか、あるいは、ゴールに近づいたら目標を上げます。

目標自体の姿・形は、漠然としたもので良いです。(突拍子もないから明確にはできません)
目標に辿りついた自分の感情や感覚の方を、臨場感をもってイメージし、記憶に留めます。
達成したときの、嬉しい、楽しい、清々しい、誇らしいというイメージです。
(これを『アンカー』と言います)

目標は、自分が心の底から望むところに設定します。
誰かに言われたからとか、ちょっと見てカッコ良いと思った程度では駄目。
目標に向かう活動が苦痛に変わってしまいます。

だから、自分に合っている目標が分かるまで、時間がかかるかもしれません。
人によっては、随分と試行錯誤するかも知れませんが、
本気で探していれば、いつかきっと見つかるはずです。
                          - - - - - - - - - (以上3行、2015年11月6日追記)
心の底から望む目標なら、
その活動のときは、面白い事に夢中になって遊ぶ子供のような心理状態になります。
この目標を保っていると、それがホメオスタシスとなり、
飛躍のヒントやチャンスを無意識のうちに見つけます。
目標に向けた一歩一歩が、自然の営みになり、喜びや楽しさが生まれます。
こうして、自然に目標に近づきます。

こうした一連の心の働きは、登山にたとえる事ができるように思います。
まだ見ぬ山頂の景色は分からなくても、そこに立ったときの喜びを心底から夢見て、
一歩一歩、山道を踏みしめる。

山頂と現在地の距離や高低差、難関など障害は多々あるでしょうが、
障害に囚われることなく、山頂に立った時の喜びを時々空想し、現在に集中していれば、
今いる所の景色や出来事などを味わいつつ、いつの間にか山頂に近づくことでしょう。
面白い事に夢中になって遊ぶ子供のような心境になれるはずです。
                        - - - - - - - - - (以上7行、2015年11月14日追記)
アンカーのイメージやその感覚は、時間と共に薄れてきがちです。
いつでも思い出せるよう、そのイメージや感覚を身近なものと関連付けます。
時折、関連付けたものに触れていると、アンカーの感覚は思い出し易いです。
(これを『トリガー』と言います。)
(私は、背筋をすっと伸ばして合掌するスタイルをトリガーにします。) - - - 2016年2月22日追記

リラックスした状態でトリガーに触れ、アンカーを思い出します。
重要な事をする時は、節目節目で、できるだけリラックスします。
判断するときに緊張していると、IQが下がる判断をしてしまいます。

参考:苫米地英人氏解説書籍、
    解説動画⇒ https://youtu.be/-5harNIIAKU
            https://youtu.be/8HAzsAn4oCk


【日本の社会原理・日本教】       - - - - - - - - - - - - -(2016年1月6日〜9日追記)

評論家で作家の山本七平先生が、『日本教』という用語を造り、
日本の社会の根底にある無意識の宗教性を解明しようとされました。
小室直樹先生という天才的社会科学者と、日本教について対談した本もあります。
目次を見ただけで奥が深そうに思えます。(ざっくりしたWEB上の紹介もあります)

読んではありませんが、要するに、世界に類例がない日本社会を分析していくと、
社会の根底には、無意識であっても、ほとんどの日本人が共有している規範があるはず。
これを、ブラックボックスにしたまま付けた名前が『日本教』と言うことのようです。

もちろん、博識で洞察力もあるお二人なので、ブラックボックスのままにせず、
知識や体験を総動員して、解析されているのが、この対談本でしょう。
  小室直樹先生の解説動画⇒ https://youtu.be/xEyEUAvbUbo
でも、自分の心の奥底に分け入ってみれば、似たような結論に到達できるかもしれません。
そこで、私なりに、日本人をこの日本教に突き動かしている原動力は何か、考えてみました。

家族でも、身近な人でも、袖触れ合うだけの人でも、誰か他の人に喜ばれる。
この喜ばれると言う事は、他者に認められたと言う事になり、自己肯定感になります。
こうして得た自己肯定感が、日本人にとっては最上の価値、報酬になっていると感じます。
日本教徒にとって、『ありがとう』という言葉は、魔法の呪文です。
  参考:ベトナム人が教える日本人の見分け方⇒ https://youtu.be/ynrLGtUthmk

他の人に喜ばれる事が、自分の喜びにもなるという『分かち合いの輪』は、
人類が他の類人猿から分かれたとき、特殊な集団形態を創って獲得した、根源的な心理です。
  参考:人間だけが創った特殊な家族⇒ https://youtu.be/Oq9U2iHqofQ?t=5m13s
どこの国にも家族内には残っていますが、赤の他人にまで発揮するのは珍しい国のようです。
現代文明から離れた狩猟採集社会には珍しくないようで、日本社会は奇跡的な事例でしょう。
  参考⇒ なぜ人は他の人にモノを与えるのか?(PDF)

現代文明が、袋小路に迷い込んでいるとしたら、
進化により特殊化して絶滅したマンモスのような運命を辿るかもしれません。
まだ特殊化していない性質を強く残している事は、袋小路に迷い込んでいない事でもあります。
日本社会は、人類の文明が、未来に生き残る為の大事な要素を残しているのかもしれません。

日本人は、自己肯定感が喜びになる一方で、普段は自己否定感にさいなまれています。
この自己否定感があるからこそ、自己肯定感が、より強い喜びになるとも言えます。
『日本教』では、この自己否定感を、予め社会に蔓延させておく必要もありそうです。
自己肯定感と自己否定感が、アメとムチになって、日本人の勤勉さを形作っているのでしょう。

信者の育成は、幼子をタップリ甘えさせつつ時々叱る、日本人の子育て法にあるのでは?
『三つ子の魂、百までも』のように、強固な信徒でありながら、無意識の信者になります。
日本人でも、この日本式子育てをしなければ、日本教徒にはなれないし、
日本式なら、外国人でも日本教徒になるはずで、日本アニメで育った子供は日本教徒かも?

世界中の子供達が、日本アニメに親しみ、喜んで見ています。
知らないうちに、世界中の宗教は、日本教に近づくのかもしれません。
そしたら、少なくとも宗教対立については、日本並みに穏便になるかもしれませんね。
  参考⇒ 『日本人がつくる世界史』のご紹介 (第2回−4)

以上のように、日本教について、そのカラクリにも触れながら、私の解釈を説明しましたが、
では、日本教は、世界で一番優れているかと言えば、弊害もあると思います。
一番の弊害は、空気による支配です。不合理なことでも空気で決まることがあるからです。

例えば、自分のいる所が空気に支配され、自分だけ違う考えを持っているとき、
大抵は、少数意見であることに臆してしまい、冷静に自分の考えが説明できなくなります。
自己否定感が高まり、冷静ではいられず、不安でたまらない状態になります。
  小室直樹先生解説⇒ https://youtu.be/xEyEUAvbUbo?t=19m31s

日本人は、無意識のうちに日本教の心理に囚われてしまうから、空気に支配されるのです。
日本教のカラクリを意識し、自己肯定感と自己否定感のバランスを自分で制御できれば、
少数意見のときでも、気持を落着けて冷静に対処できるはずです。
空気や雰囲気に弱いという日本教の弊害を緩和するには、これが一番の近道だと思います。


【正しい誓願を起こす】             - - - - - - - - - - - - -(2016年2月6日追記)

分かち合いの輪にしても、思いやりにしても、反応する相手がいてこそ成り立ちます。
相手の反応が期待に沿うものであれば、自分も嬉しくなります。
反応が期待外れで、悲しくなっても、それをバネに意欲が高まるかもしれません。

ところが、日本教のカラクリを見破ってしまうと、悲しさは残らないものの、
脱力感が残り、次第にやる気が失せてくるかもしれません。

分かち合いの輪にしても、思いやりにしても、人間の根源として非常に大切ではありますが、
互いの反応に感応しあって集団が営まれるという、集団心理の一つでしかありません。
もし、たった独りの世界に投げ出されたら、幻のように、全く空疎になってしまいます。

集団が営まれていくから、子孫が残され、今ここに、自分も存在できているとは言え、
独りになってしまうと、集団心理からは、何も、エネルギーはもらえません。
これに寄り掛かっている限り、独りでは何も出来なくなってしまいます。

普段、私達は、集団心理が作る温室のような環境で過ごしていますが、
もし、この温室から出たり、温室が壊れたら、自分を見失い、何もできなくなるかもしれません。
あるいは、無軌道に、享楽にふけることにもなるかもしれません。

たとえ、独りになったとしても、現に自分はここに存在している。
そこから出発する、個人としての行動心理があってこそ、根気強く何事かを続けられます。
それは、何か?・・・生きたい、生き続けたいと言う、生存本能だけなのでしょうか?
温室を失っても、その何かを持っていれば、自分を見失うことが無い。

その何かとは、・・・『誓願』と呼ばれるものかもしれません。
成就を願いつつ、どんな困難も乗り越えて成し遂げようと思い定めた、高らかな誓いです。
どんな願いか、誓願の対象は、結局は、集団に関係する事になるかもしれません。
しかし、集団から示される何らかの反応、目の前の現象に、一喜一憂することなく、
長い目で見ながら、自分の誓願に向け、エネルギーを保ち続ける事が出来るはずです。
 参考「中村元・ブッダの言葉」の一部⇒ https://youtu.be/V0VaUxjlM04?t=52m05s 約3分






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