2003年(平成15年)11月6日(木曜日)、新潟日報に掲載された記事です。

ぬくもりつむいでのロゴ

ささえあい
ぬくもり つむいで
掲載された写真(宮下、霜鳥)
(写真の説明)
 小春日和の中、山歩きを楽しむ宮下幸夫さん(左)。霜鳥弘道さん(右)とは長年のパートナーで息もぴったり=2日、糸魚川市の「塩の道」白池
 視覚障害者の山の会会長
  宮下 幸夫さん(51)=上越市=


 「ともに楽しむ」基本に
   一般の人もサポーター


 中高年を中心に登山ブームが続く。「多くの視覚障害者にも山登りを楽しんでほしい」。
 そんな思いから三年前、県内で初めて、視覚障害者を中心とした山の会「新潟あいゆ−山の会」が発足した。会長は、自身も視覚障害者の宮下幸夫さん(五一)=高田盲学校教諭=上越市=。近年、あらゆる分野で、視覚障害者がスポーツを楽しめる環境になってきた。
 しかし、「まだ登山に関しては県内は遅れている」と宮下さん。同会の会員は、県内を中心に四十四人(視覚障害者十四人)。互いに支え合いながら、山を満喫している。

 二日午前八時。宮下さんを含む会の一行約四十人と盲導犬一頭は、糸魚川市山口の宿舎から、「塩の道」の本県側を往復するコースを出発した。本年度の最終行事だ。
 すぐに汗がにじむ小春日和。「いま踏んだのはドングリ?」「うん、そうだよ」「落ち葉の上を歩く感触は気持ちいいですね」。そんな会話を交わしながら、ゆっくりと登山道を踏み締めていく。
 日の不自由なメンバーの手には、先導者のザックに取り付けたザイルが握られている。
 宮下さんは、針きゅうの職業教育を行う理療科の教諭。先天的な網膜色素変性症で明るい、暗いといった「光覚」はあるが、現在の視力は0・01。中学までは弱視で普通校に通っていたが、その後悪化した。
  「でもね、見えないなりに『見える』んです。山頂の空気、転がっている石の感触、鳥の声や風のにおいを全身で楽しめます」と、山の魅力を語る。
 同会の会員は障害者のほか、福祉関係の仕事に携わっている人が多いが、一般の登山愛好家もいてサポーター役を務める。「(目の見えない)彼らは鳥の声や花のにおいなどに敏感なんですよね。単独登山よりずっと楽しいし、教えられることが多い」。登山歴十五年、新潟市近江の自営業、小林幸子さん(六〇)はそう話す。
 会結成のきっかけは、一九九七年八月の第五回視覚障害者全国交流登山。長野県生まれの宮下さんはこの登山で、幼少時おぼろげに仰ぎ見た飯網山(一、九一七b)の山頂を初めて踏んだ。
 そのとき一緒に参加したのが現在、会の事務局を務め、創設発起人の一人でもある霜烏弘道さん(五七)=高田盲学校介助員=だ。同登山には二百二十人が参加し、県内からも十数人が来ていた。「山に登りたい視覚障害者がこんなにいるのか」。二人は視覚障害者登山が全国的に普及していることを痛感し、会の設立を思い立った。
 年齢は違うが高田盲学校の同年採用。互いに山好きで最初からウマが合っていた。会の準備でも、かけがえのないパートナーになった。発足にあたり、障害者へのサポート技術などを研究。県外の先進団体の指導を受けた。
 会の名称「あいゆー」には「私(アイ)とあなた(ユー)」などの意味を込めた。当初は高田盲学校OBらに呼びかけ、その後ホームページなどで募集したところ、予想以上に集まった。
 ただ、登山をしたくても二の足を踏んでいる視覚障害者は多いという。山には危険が伴うため、一般の山岳サークルは敷居が高い。県内には「受け皿」が少ないのだ。
 宮下さんは「視覚障害者を山に連れて行く会ではない。『ともに楽しみまししょう』という基本的なスタンスをこれからも守っていきたい」と語り、入会を呼びかける。

取材を終えて

 見えぬのも一種の能力

 視覚障害者スポーツ、レクリエーションにサポーターは欠かせない。しかし今回、「山の先導者と障害者は対等なパートナー」という同会の考え方に肌で共感した。

 「目に見えること」「目が見えないがゆえに分かること」「人にはない感性」。おのおのが持っている才能、知識、感受性をこの会は持ち寄り、山登りを通して共有しているんだ、と感じた。
 そういう意味では、「目が見えないのも一種の能力」(宮下さん)。同感だ。
 (学芸部・永高誠)
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