コラム 6

創立5周年を迎えて思うこと

  宮下 幸夫

 私たちの「新潟あいゆー山の会」は、2000年(平成12年)4月15日に発会し、今年で、満5周年を迎えようとしています。これもみな会員のみなさんのご理解と、ご協力があったればこそと感謝しています。
 5周年に際して、何か書いてみようかと考え、会員のみなさんとの「出会い」のあれこれを、いくつか記憶と記録を振り返りつつ、書いてみようかと思った次第です。

 [その1. 霜鳥さんとの出会い]
 現事務局長の霜鳥弘道さんとは、今から27年前、1977年(昭和52年)4月の、現職場(新潟県立高田盲学校)での同期の採用でした。思い出すことは、当時はまだ古い慣習が残っていて、初出勤した夜に、高田の料亭「宇喜世」で歓・送迎会が行われ、開会のあいさつから乾杯までの、いわゆるセレモニーに1時間近くも要して、我々新任者は、隣りどうし、そっと「長いですね!」などと、小声でつぶやいていたことを思い出します。当然、足はしびれて棒のようになってしまいました。
 それから、あの頃はエネルギーもあり、冬などは、平日勤務終了後、ナイタースキーをやりに、赤倉まで車で出かけて行ったことも、度々ありました。二人とも20代でしたから、これくらいの元気はあってあたりまえでしょうか。

 [その2. 山村さんとの出会い]
 事務局で大活躍の山村洪一さんとは、1996年(平成8年)11月に、神奈川県小田原市で行われた、第14回全日本盲人マラソン小田原大会に、私が初めて参加したときに、伴走してくださったのが最初でした。待ち合わせ場所の、城山陸上競技場のスタンドで、初めてお会いし、山村さんが信州大学の出身であること、学生時代に山岳部で活動されていたことなどをお聞きし、また、上水内郡牟礼村に別荘をお持ちとのことで、丁度、翌年(平成9年)8月に、長野県の戸隠村で、第5回全国視覚障害者交流登山が実施されるという話をしたところ、「是非、それに僕も参加しますよ!」という話になりました。
 それ以来の山でのおつきあいです。小田原マラソンの方は、その後も4回ほど参加したのですが、最後にハーフマラソンを走ったときの、まるで仰ぎ見るような後半の急坂にショックを受け、その後は参加しておりません。どなたか、「我こそは!」と思う人がいたら、是非チャレンジしてみたらいかがでしょうか。

 [その3. 利根川さんとの出会い]
 あいゆー会で、会計を担当してもらっている利根川秀明さんとは、彼は1997年(平成9年)4月に、県立六日町高校から、本校に赴任して来られました。年度始めに、お昼を食べに出たときに、「趣味は登山です。」という話を聞きました。その時は、「ああ、この人も山に登るのか」と、何となく思っただけなのですが、この年の8月に、長野県の戸隠村で行われた、第5回全国視覚障害者交流登山に参加するため、当日の早朝5時に、霜鳥さん、渡辺さん、藤野さんとともに、高田盲学校の玄関前で、出発の準備をしていたところ、何と、利根川さんも、「これから南アルプスの甲斐駒ヶ岳方面に行くので、車を置きにきたのだ。」と言って、すれちがって行ったのです。その時の彼は、「へー、視覚障害者のみなさんも山に登るのか?」と、少し驚いたそうです。こんな劇的な出会いが、今に至っているのも、何だかとても不思議な気がします。

 [その4. 佐藤房子さんとの出会い]
 あいゆー会で、会計監査を担当していただき、例会山行では、しばしば記録係をやってもらっている佐藤房子さんとは、1998年(平成10年)5月に、B・フリー(新潟県視覚障害者ランナーズクラブ)の行事で、5月の第2日曜日に、長岡市の悠久山公園で、走る会が行われたときに、ボランティアとして来られていた佐藤さんと初めてお会いしました。
 B・フリーでも、たまには登山をしないかとの声があがり、私がその計画を任されて、7月に「米山」に登る計画を、交流会の場で、みなさんに披露したところ、佐藤さんがご自分の連絡先が書かれたメモを持って走ってこられ、「その行事に、私も是非参加します。」と、声をかけてくださったのです。
 そして、予定通り7月の第1日曜日に、JR柿崎駅に集合して、米山登山を実施したのです。当然、霜鳥、利根川の両氏の助力もいただきました。
 もちろん、この時の佐藤さんは、視覚障害者の登山に同行するのは、初めての体験だったと思いますが、ずいぶん緊張された様子だったと、後で霜鳥さんが話していたことを思い出します。
 それ以来、例会山行はもちろん、交流山行や全国交流登山にも参加していただき、その実力もさることながら、今では、当会にはなくてはならない人になっております。

 [その5. 桜井さんとの出会い]
 第6回全国視覚障害者交流登山が、1999年(平成11年)5月に、長野県の上高地で行われました。この交流登山に、新潟県からは17名が2泊3日で、中型バスをチャーターして参加しました。
 交流登山そのものも、大変盛り上がりましたが、帰りのバスの中で、渡辺裕治さんが、「是非とも、夏に白鳥山に登ってみたい!」と言われ、この年の夏、霜鳥さんと利根川さんが、下見に出かけたのです。丁度そこへ、栂海新道の藪刈りを終えて、下山してきた桜井さんと出会ったのだそうです。そして、「どこか視覚障害者に、登りやすい山はないでしょうかねー?」と話しかけたのが、桜井さんとの最初の出会いだそうです。
 結局、白鳥山は危険な箇所もあり、我々視覚障害者には、むかないとのことになって、第2回例会山行の刈羽黒姫山や、第3回の櫛形山脈を紹介していただくことになったわけです。
 例会山行の時に、経験豊富な桜井さんの話を、たくさん聞かせていただくのも、楽しみの一つになっています。

 [その6. 長部さんとの出会い]
 新潟あいゆー山の会の創設準備会が、1999年(平成11年)10月31日に、長岡市のアトリウム長岡で開かれました。
 確か、私の記憶によると、別の用事で、偶然この会場に来られていた長部さんが、ご自分でも山に登られること、また、朗読ボランティアをされていることなどから、視覚障害者の山の会を、発会する準備会が行われることを知って、急遽、参加していただくことになったと思うのですが、果たして本当のところは、どうだったのでしょうか?
 この時は、会の名前を「新潟あいゆー山の会」と決めたり、会の運営に必要なアウトラインを協議して、その後、懇親会になったように思います。長部さんには、この懇親会まで同席していただいたことを覚えています。
 第2回例会山行(刈羽黒姫山)のとき、台風によるフェーン現象の暑い日に、JR柏崎駅で合流し、宿泊場所のジョンノビ村まで同行させていただいたことを思い出します。

 [その7. 上林明さんとの出会い]
 上林明さんとは、奥様の洋子さん共々、1999年(平成11年)5月に、上高地で行われた第6回全国視覚障害者交流登山の時の交流会で、すばらしい詩吟を披露していただいたことが、大変印象深く残っているのですが、それ以前に、先に書いたB・フリー(新潟県視覚障害者ランナーズクラブ)の発会の時に、JBS(日本福祉放送)の記者として、長岡市営陸上競技場に取材に来られたことを覚えています。
 例会山行の時には、上林さんの楽しいトークを聞くのが、今では楽しみの一つになっています。だから欠席されると、どこかがっかりなのです。それから、会報のテープの編集では、朗読してくださる事務局のみなさん共々、大変ご苦労様です。いつもとても楽しみに聞かせていただいております。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 [その8. 中田さんと霜鳥さんとの出会い]
 これはお聞きした話ですが、副会長の中田良一さんと、事務局長の霜鳥弘道さんとの出会いは、春先に(年?)山スキーをするため、それぞれ妙高高原から笹ヶ峰に車を走らせていたところ、凍結している坂道で、スリップして接触事故を起こしてしまったことが、初対面なのだそうです。それ以来、山仲間としての、おつきあいが続いているのだそうです。

 [その9. 林良子さんについて]
 当会の、「新潟あいゆー山の会」という、名前を考えてくださった林良子さんは、1995年(平成7年)3月に、高田盲学校の高等部本科保健理療科を卒業されたのですが、2年生の時には、第62回全国盲学校弁論大会で、3位に入賞されたのです。そして、卒業式のあいさつでも、ご自分を鉢植えの花にたとえられて、実に要を得たお話をされました。「あいゆー」という名前は、とても良い名前だと思っています。
 また、1997年(平成9年)の第5回全国視覚障害者交流登山、1999年(平成11年)の第6回全国視覚障害者交流登山にも参加され、同年10月の準備会では、会の命名者になっていただいたわけです。おばあちゃんになられたそうですが、たまには例会にもご出席ください。

 [その10. 信楽園病院での出会い]
 事務局長の霜鳥弘道さんが、新潟市の信楽園病院において、視覚障害者の誘導歩行の講師として、参加しておられた際に、大勢のハイキングや登山愛好家のみなさんとお知り合いになられました。
 それは、次のみなさんです。
 佐藤元一さん、佐藤ヨキエさん、櫛舎若葉さん、星野和也さん、高野純子さん、丸山暁子さん、滝沢愛子さん、小川晴夫さん、小川みつえさん、伊藤真由美さん、吉井美恵子さん
 以上、13名の方々です。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

 [その11. 高田盲学校卒業生のみなさん]
 当会会員で、高田盲学校の卒業生は、池田新平さん、坂牧文則さん、中村良子さん、林良子さん、藤野俊明さん、渡辺裕治さんの6名です。
 池田さんは、B・フリーでも大活躍で、フルマラソンなどにも、数多く参加されているスポーツマンです。
 坂牧さんは、当会の例会山行にも、子供さんたちと参加され、山行にマラソンに大活躍されています。在学中から、盲人野球に柔道に、中心選手として活躍されました。
 中村良子さんは、在学中は一生懸命勉強していた姿しか覚えていません。卒業されて、時々登山をされているという話を聞いて、そのような趣味があったことを知りました。最近では、マラソンにも取り組まれているとのこと。大いにがんばってください。
 林良子さん(前述)
 藤野俊明さんは、私とは無線(ハム)仲間でもあり、確か専攻科理療科の卒業学年の時に、火打山に登ったと思います。早朝に、山頂でCQを出しておられたことを覚えています。携帯電話の登場で、アマチュア無線は、ずいぶん下火になってしまいましたが、これからも時々は例会山行にも参加してください。

 副会長の渡辺祐治さんは、本校在学中は、勉学一すじでしたが、中学・高校時代は、糸魚川・西頸城地区の体育関係者なら、知らない人はいないほどのスポーツマンだったのだそうです。卒業後、まずB・フリーに参加され、新潟あいゆー山の会の結成にも、重要な役割を果たしてくださいました。これからも、いろいろな活動を通して、本会の発展に力をかしていただきたいと思います。
 最後に、みなさんとの出会いを改めて書いてみますと、とても不思議な気がいたします。何だか、ずっと以前からの知り合いだったような気がしてなりません。

 会員のみなさんとのふれあいを大切にして、これからも楽しく充実した活動を、実践していきたいと思っていますので、今後も、どうぞよろしくお願いいたします。
 平成16年(2004年)8月 記

 [備考]
 ○第5回全国視覚障害者交流登山
 期日  1997年(平成9年)8月
 場所  長野県飯縄山
 主催  京都視覚障害者山の会
 参加者数  220名(新潟県内からは14名が参加)
 ○第6回全国視覚障害者交流登山
 期日  1999年(平成11年)5月
 場所  長野県上高地
 主催  六つ星山の会(東京)
 参加者数  250名(新潟県内からは17名が参加)
 ○創設準備会
 期日  1999年(平成11年)10月31日
 場所  長岡市のアトリウム長岡
 参加者数  12名 
文責:新潟あいゆー山の会事務局
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