14 特別山行「富士山」

           見晴館の前から出発
1 富士登山に参加して
記録:宮下 幸夫
                                 
 2002年(平成14年)8月24日(土)に、特別山行として、当会の山村さんが中心に計画された富士登山に霜鳥、利根川、渡辺の3氏とともに参加した。
 24日は、朝5時半少し前に、霜鳥さんが迎えに来てくださり、上信越道の上越高田インターの駐車場で、利根川、渡辺の両氏を待った。まもなく利根川車が到着し、2人の荷物を霜鳥車に移して、6時少し前に上越高田インターを出発した。今日の天気は、予報ではあまり良くないようであったが、今のところ薄日もさしており、まずまずの様子であった。

 高速道路は、上信越道・長野道・中央道と乗り継いでいくのだが、車の流れも順調で、途中、松代パーキングと八ヶ岳サービスエリアで休憩を取り、大月ジャンクションで中央道の本線と別れ、河口湖方面に向かった。そして、富士吉田インターを出て、東富士五湖道路を経由して、やがて富士あざみラインへと進めていった。東富士五湖道路までは、ちょうど3カ月前に、全国交流登山箱根大会で通った道なので、車窓からの風景も懐かしく感じられた。

 富士あざみラインに入っていくと、「さあ、いよいよだなあ!」という思いが高まってくる。つづら折れの道路をどんどん登っていくと、車はローギアになり、霧が出てきて、ますます緊張感は高まる。  
 10時15分頃に、富士あざみラインの5合目目駐車場に到着し、車から降りてみると、地面が平らでなく、少し傾斜地であったことに、改めて5合目なんだという実感がわいた。すでに駐車場は満車で、霜鳥さんが少し下った道路端に車を駐車してきた。

 車を降りて荷物の整理をしているところへ、山村さんが中国からの研修生のゲンさんを伴ってやってきた。大阪からの一団は、12時過ぎにバスで到着とのことなので、我々は5合目の山小屋で休憩し、昼食を済ませることにした。私は緊張のためか、あまり食欲がなかったので、山菜うどんを注文したのだが、これが後になって空腹を感じさせられることになってしまった。トイレに行ってみると、すでに百円の有料トイレになっており、改めて、高い山の上なんだということを実感した。
 12時過ぎに、大阪の「かざぐるま」の5名と、友人の方1名の6名がバスで到着し、総勢12名のパーティーになった。当初は同行する予定であった地元の柳川さんも一緒に、名誉隊長の北村さんのもと、出発のミーティングを行って、12時15分に登山開始となった。
 私は利根川さんとパートーナーになったので、リュックの背面に白いタオルを付けてもらい、明るい所では、それを見ながら歩くことにした。こうすると、腕が疲れなくてよいのだ。登山道の入り口に神社があり、みんなが無事に下山できることを祈って出発した。

 最初は、樹林帯の中を大きな岩をよけながら登っていった。樹林帯を抜ける頃には、登山道も広くなり、まるで草原か砂漠の中を歩いているようであった。霧が出たときのために、登山道の脇には、白いロープが張られていた。親子づれと思われる一団や、職場の同僚と思われる一行が、それぞれのペースでにぎやかに登っていた。7合目の「大陽館」という山小屋を通過する頃には、改めて富士山の雄大さが感じられ、気持ちの引き締まる思いがした。

 このころから、「かざぐるま」の安田さんが疲れている様子であったが、利根川さんたちに登る時のアドバイスを受け、気を取り直して登っていった。曇り空のためか、夕方4時過ぎ頃には、あたりはかなり薄暗く感じられた。やがて、上方に今晩宿泊する、「見晴館」が見えてきて、元気を取りもどした。17時15分にようやく到着し、みんな笑顔、笑顔!受付を待つ間、少し風通しのよい場所に座っていたら、とても寒くてリュックからウインドブレーカーを出して着るほどであった。

 やがて山小屋に入り、早速夕食タイムとなった。1本600円の缶ビールを注文し、早速乾杯!あまり冷えてはいなかったが、とてもうまい。皆さんが持参してきたおつまみが回され、感想などを述べあって楽しいひとときを過ごした。夕食のメニューはカレーライスであった。夕食の後、早々に寝る準備をした。特にやることもないので、8時前には床についた。明朝5時前に起床するとはいえ、こんなに早い時間に果たして眠れるのだろうか?ラジオでも持ってくればと思うところであった。寝ている間も、小屋の外では、ひっきりなしに登山者の登っていく足音が聞こえていた。

 翌8月25日(日)は、朝4時半に起床し、5時のご来光を見ることにした。5時10分前に霜鳥さんと外に出てみると、外気の冷たさですぐに眠気もふっとんでしまった。5時という予定時刻が、東の空に少し雲があるために、20分も待たされることになった。東の空が急速に明るさを増していくと、上の山小屋の人たちが、「ばんざい!ばんざい!」と大合唱していた。と、まもなくまるでスポットライトのような真っ赤な太陽が姿を現し、それと同時に、あたりがぱっと明るくなった。太陽の姿が眼下に見えることに、改めて富士山の高さを実感した。
 朝食を済ませ、荷物の整理をして、6時半に見晴館を出発した。もう登山道の周りには砂と岩ばかりで、1本の草も見ることはなかった。何軒かの山小屋の前を通過し、8時50分にようやく頂上の浅間神社に到着した。頂上の平らなところに出てみると、そこには数軒の山小屋やおみやげ店が並んでいて、まるで富士山銀座とでもいうような風景であった。

 頂上では、大きな噴火口の見えるところまで移動し、人混みをさけ記念写真を撮った。その後、おはち巡りへと出発した。安田さんは下山に備えて、山小屋に残留した。おはち巡りは、富士山の噴火口の周りを歩くのだが、およそ1時間程度かかるとのこと。途中、御殿場口登山道、浅間神社の奥の院、富士宮口登山道などを過ぎて、剣が峰に向かう急登があった。急登の途中で、昨夜泊まった見晴館の娘さん(?)が、にこにこしながら我々を追い越して登っていった。今シーズン頂上へ来るのは初めてなんだといっていた。9時50分に、気象庁の富士山測候所のあったところ、「日本最高峰 富士山 3776メートル」と書かれた標識の前で記念写真を撮った。以外にも、富士山は2等三角点であったことには少し驚いた。

 火口の北側に回ってみると、そこにはもう一つやや小さめの噴火口があった。丁度二つの火口の間を進んでいった。山小屋にもどり、昼食を取った。缶ビールを注文したところ、北村隊長から注意を受けてしまった。そういえば、「かざぐるま」では、山行中はアルコールは禁止であったのだ。しかし、ばっちり冷えていてとてもうまいビールであった。みそラーメンを食べ、スパッツを付けて下山の準備に入った。

 11時半に下山を開始し、下山専用の広い砂地の道をいっきに降りていった。この道は頂上の山小屋にブルドーザーで物資をあげる道なのだろうか。1時間ほどで見晴館に到着し、あずかってもらっていた荷物を受け取り、砂走りからいっきにかけ降りた。砂走りをかけ降りる感覚は、スキーにどこか共通するものがあるようだ。

 やがて、周囲に草木が増えてきて、午後2時20分頃に、幟などがあがっている休憩所に到着した。ここで15分ほど休む予定であったが、御殿場に下るバス時刻が15時であることが分かり、5分ほどで、急いで出発した。今度は、ペースアップして林の中の道を急いだ。やがて、出発の時にお参りした神社の横に出て、何とか3時の御殿場行のバスに間に合った。
 まもなく車窓から手をふりながら、大阪の5名の方が出発していった。我々も山村さん、安田さん、ゲンさんと握手をして別れ、車まで移動して帰り支度を整えた。
 午後3時半に5合目を出発し、帰路に着いた。途中、6時頃に中央道の諏訪サービスエリアで夕食を取り、ここからは利根川さんの運転で、上越高田インターには、午後7時50分に無事到着した。

 昨年(平成13年)9月1日から2日にかけて、当会の事務局長の霜鳥さんが、下見山行の報告として書いていたとおり、「富士山されど富士山、富士山は大きな山です。」という言葉が実感できた。また、昨今は若者の山離れといわれますが、富士山には大勢の若者が登っていた。そして、高い山に行けば行くほど、水が貴重であることも、改めて実感した。

 今回の富士登山は、何といっても良い天候に恵まれたことが、大変幸せでした。日頃の精進がよいのでしょうか。
 翌26日(月)の朝8時頃に、偶然にも日本テレビ系の「ズームインスーパー」の中で、富士山頂からの中継放送があった。そういえば、富士山銀座に、放送用の機材があったようだ。

2 Thank you, Mount Fuji!
記録:Geng Xinli

 2002年8月24日、私は富士山に登りました。この山は日本で一番、高くて美しい山です。予想される登山のいろいろな困難に対して、たくさんの情報を得、また準備もしていたのに、それでも、この山は私の予想を超えていました。
 私は今まで、山登りでこんなに大変だったことはありません。でも、私の苦労は全てむくわれました。なぜなら、私はすばらしい景色を楽しみました。困難に打ち勝つ幸福を手にいれました。 そして、一番重要なこと・・・ 私より肉体的には弱いけれど、そのほかの点では私より強い人達の、精神力と忍耐力にとても勇気づけられました。 

 私はいまでも、山村さんがわたし達のハイキングチームメンバーの事を話した時の驚きを覚えています。私自身は、この富士登山という挑戦に参加しようかどうかと、長いこと決めかねていたので、ハンディキャップを持った人達のことが、とても心配でした。
 でもそれも取り越し苦労と判りました。それは、困難が思ったほどではなかったと言うからではなく、今回は気持ちが大切だと言うことです。 この登山の間、私は一度、目をつぶって、目の見えない人達の気持ちを感じてみようとしました。そして、判ったことは一歩一歩にわたし達と比べて大変な注意をはらわないといけないということです。彼ら・彼女たちがつまずくたびに、私は感動して涙の流れるのを止めることが出来ませんでした。私が顔を見ると、みんな楽しそうに、自信に満ちていました。

 わたし達 12名のメンバーは、4名の視覚障碍者を含み、また60歳以上の方も何名かいらっしゃいましたが、とうとうあの偉大な山を征服しました。私は前メンバーのそれは幸せそうな顔を見ました。私自身も喜びで一杯でした。
 本当のことを言うと、下りで靴擦れができて、やっとのことで下りてくることが出来ました。頑張って良かったと満足しています。たぶん、私がメンバーの中で一番若いのだという考えが動機付けになったのだと思います。みんな疲れていたけど、とても気持ちが高揚していました。ですから、お互いにさようならを言った時、時間があまりに早く経ったことに溜め息をついてしまいました。私の足は次のまるまる一週間、痛かったです。そしてその痛みは、この忘れられないハイキングを思い出させてくれました。そしてその後に、この成功は一人の物ではなく、チームみんなのものだという事を考えました。

 この結果がみんなの親切と相手を思いやる気持ち無しで得られたとは考えられません。この中で、私たちのチームリーダーの山村さんが一番、真価を認められるべきでしょう。彼は知識と責任感があって、また、思慮深く心の温かい仲間です。どんなときも、自分のチームメンバーが恐れたり、希望を失うということをさせませんでした。彼がリーダーとして、どんなに困難な経験をしたかということは、後になって判りました。私ももっとうち解けられれば良かったと残念です。

 このようなチームであれば、困難を感じた時、お互いが助け合う気持ちを持って、他の人の力を貰うことができるでしょう。 メンバーの殆どは初めは初対面でした。そして、私は殆ど他の人達とコミニケーションを取るとが出来ませんでした。でも私は他の人の思いやりを感じました。それは、暖かみのある本当の感覚でした。私の短い日本滞在の間に富士山に登ることが出来て、本当に好運でした。そしてさらに好運だったのは、それを尊敬すべきチームメンバーと一緒に、挑戦を完全に満たすことが出来たことです。

 将来、私が困難に直面した時、この旅行の経験はきっと私に勇気を与えてくれるでしょう。この登山で私を助けてくださった皆さん、すなわち、優れた、お父さんのような山村リーダー、私よりずっと年長なのに年を感じさせなかった皆さん、そして、そのほかの助けになり思いやりのあるチームメートの皆さん、本当にありがとうございました。どうやって感謝の気持ちを表して良いかわかりません。
 ただ、いつか皆様が、山登りにかぎらず、自分自身の新しいチャレンジで中国に来てくださることをお待ちしています。
 以上 

 (この原稿は、ゲンさんから頂いた英文原稿を山村さんに邦訳していただきました。)
戻る