・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
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<第2章-1>     魂とは

私は、「魂(たましい)」と「霊(レイ)」は、別物だと考えます。
ホラー映画などに出てくるような霊の類は、
完全否定するだけの根拠は持ち合わせていませんが、
感じたとか、見えたと言う人の、心の中だけの想念だと考えます。

私が、「たましい」と呼び、大事にしたいのは、
人の心の中核にあって、心を支えるものとしての「たましい」です。
自然景観や芸術作品が、人の心をとらえ、ゆさぶるのも、
その中核に「たましい」が、こもっているからだと考えます。

日本古来の言葉を引き継いでいる訓読みで、(参考書210)
「たま」が入っている言葉をみると、
「玉」「球」「珠」「溜まる」「黙る」「賜う」「堪らない」「卵」「かたまり」などなど、 一つの内部に蓄積していく様子を表したり、
この結果として、はち切れそうに、膨らんだ様子、まん丸になった様子を表したり
膨らんだように艶々とした、貴重なものを表したりしています。
「たましい」は、年月を経て蓄えられ、心の中核に育っていくものだと考えます。
ちょうど、貝の中で真珠が育っていくような感じです。

心の中には、境界線は引けませんが、
刻々と移り変わっていく部分がある一方、
『三つ子の魂、百までも』と言われるように、
年輪を重ねるような、ゆっくりとした変化の部分があります。
魂とは、この年輪のように育つ部分です。

変わりにくいから、普段、本人は、
空気のように、当たり前で、なかなか気付かない。
かえって、周囲の人が、気付いていたりする。
壁にぶつかって、にっちもさっちも行かなくなって、判断に困ったときのように、
よほどのことがあると、自分の判断の根本として、ふと気付くことがある。
魂に気がつくと、迷いが消えて、自分らしい動きができるようになる。

そうです。
魂は、あなたらしさの根源になっています。

似た意味の言葉に、「性格」があります。
性格も、魂の一つの側面ですが、全てではありません。
性格は、置かれた環境によって容易に変化します。(参考書302)
「あんなに陽気だった人が、今は陰気な顔をして暮らしている。」
「陰気な人だと思っていたけど、今は明るい笑顔を振りまいている。」
と言ったような事は、よくある事ですね。
性格が変わったからと言って、魂が入れ替わったわけではありません。
魂の中で、表に現れる部分が、今まで奥に引っ込んでいた部分と入れ替わったのです。

では、「心の中核は、どこにあるの?」「魂は、どこ?」「性格は、脳のどこ?」
と聞かれても、どこと特定することはできませんし、無意味です。
あえて言うなら、全体に散らばっているとしか言いようがありません。(参考書210)
一見、バラバラで複雑な事でも、性格を見つけられることがあります。
複雑そうに見えながら、そのなかに法則性をもつ「カオス理論」や
単純な方程式から複雑な振る舞いが出てくる「フラクタル」などです。(参考書104)
魂は、これに類したものだと考えます。

魂があるのは、人間だけではないと考えます。
自然景観や芸術作品が心をとらえ、ゆさぶるのも
そこに魂がこもっているからだと言いました。

木立をみると、同じ種類の木でも、一本一本に独特のおもむき(趣)があります。
草木の一本一本にも、その一本の趣があります。
動物の一匹一匹、虫の一匹一匹にも趣があり、
石や岩の一つ一つにも趣があり、
微生物も、観察することができるなら、
きっと、その一つ一つに、趣があるはずです。
この「趣」は、それぞれが持つ魂の一面です。

これらは、互いに共生し、林となり、森となり、
こうした集合体として、一つの生態系を形づくり、
特有の趣を醸し出しています。
つまり、魂とは、個別の存在を超え、集合体にも存在するものです。(集団の魂

自然そのものを御神体としている神社もあると聞きます。
奈良県にある大神神社(おおみわじんじゃ)は、三輪山そのものを御神体とし、
大和朝廷創始から存在する最も古い神社の一つです。
険しい山やその麓の豊かな森を信仰の対象とした「山岳信仰」も各地にあります。
沖縄では、神が宿る所として、自然の森の中に神聖な所があると聞きます。

こうした魂をもつ生態系が幾つも重なって、地球の自然が形づくられています。
きっと、地球としての魂も存在するはずです。(=地球らしさ、際立つ存在感)
この中に包まれている私たち人間には、
空気のように当たり前で、普段、感じ取ることはできませんが、
宇宙飛行士のように、地球の外に飛び出して、初めてはっきり感じ取れるのかもしれません。
太陽を中心に、地球をはじめとした惑星が集まって、太陽系をなし、

無数の太陽系が集まって、銀河をなし、
そして、無数の銀河宇宙にひろがっています。
それぞれの集合に魂があり、宇宙全体の魂もあるはずです。
私たちは、この、幾重にも重なった魂の中に包まれて生かされています。

人間の社会の中にも、幾重にも重なった命の体系があります。
会社も、色々な人がそれぞれ役割を持ち、一つの命として機能しているし、
会社の外には、お客様、仕入先、銀行など沢山の取引先や競争相手があり、
会社は、より大きな生態系のような命の体系の中で生かされています。
家庭も、家族の一人一人が役割を持ち、一つの命として機能しているし、
家の外には、隣近所、町内会、お店、社会インフラなどなど、
生活を支える生態系のような命の体系があります。
一人の人間は、この幾つもの体系に同時に属しています。
それぞれが命の体系としての魂をもち、いくつもの魂に包まれて生かされています。

心のリセットで、感じた温もりの一つ一つは、
根源的には、喜び・感動・感謝で説明した神様の温もりであると同時に、
一つ一つが、命の体系の持つ魂の温もりでもあります。
幾つもの温もりが集まり、より大きな温もりを形成しています。
あなたも、私も他の人達も、こうした幾重もの温もりに包まれています。

魂と魂の出会いとは、そうした温もり同士の接触なのです。
幾重にも重なった魂の温もり、その何層まで接触できるかで、
出会いの深さが決まってきます。

人と人が接するとき、その人の魂に届くことができたら、
この出会いは、たとえ短時間であっても奥深い交流になるでしょう。

修正:2009年8月11日
 




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